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大分県の医療福祉に貢献した偉人!関わりのある病院を紹介

大分県の医療福祉に貢献した偉人!関わりのある病院を紹介

大分には日本の医療・福祉に貢献した人物がいます。

それはポルトガル人医師のアルメイダという人物。日本で初めての西洋式病院は、アルメイダによって戦国時代に設立されました。アルメイダが設立した病院は現存していませんが、その偉業や精神を伝えるために大分市医師会は「アルメイダ」の名をつけた病院を作りました。

また、大分には「障がい者スポーツの父」と呼ばれる中村裕医師が設立した病院も。

この記事では「アルメイダ病院」の特徴とアルメイダの偉業、そして現代の障がい者福祉に大きく貢献した中村医師についてお伝えします。

院内に緑あふれるガーデン!偉人の名を残す「アルメイダ病院」

大分県にある「アルメイダ病院」。院内は木目調のロビーや吹き抜けがあり、心地よい空間が広がっています。

アルメイダ病院では「エコロジーガーデン※」という院内緑化プロジェクトを行っているんですよ。

エコロジーガーデンとは

空気の浄化効果・消臭効果の高い「エコ・プラント(観葉植物)」と「エコ土(土壌)」を使った室内につくられた庭園。また、エコ・プラントはマイナスイオンの発生にも優れています。

エコロジーガーデンを導入する病院は増えていて、「緑があるとほっとする」「空気がきれいに感じる」などの声が寄せられているそう。

患者や病院を訪れる人のために、工夫を凝らす人想いの病院ですね。

ところで、病院の名称にもある「アルメイダ」。これはある偉人に由来しているんです。では、アルメイダはどのような人物だったのか、次にお伝えします。

宣教師にして医師!日本初の西洋式病院を設立したアルメイダ

「アルメイダ病院」の由来となったのは、ポルトガル出身の医師ルイス・デ・アルメイダ。

アルメイダ医師は日本初の西洋式病院を設立しました。

また、日本で初めての南蛮外科医でもあるんです。ポルトガル出身の医師がなぜ日本で病院を設立するに至ったか、そのきっかけや経緯をみていきましょう。

アルメイダは1525年にポルトガルのリスボンで誕生。23歳のときに医学を修めますが、医療の道には進まず商人になりました。インドへ渡ったアルメイダは日本と中国の交易で多くの財産を手にし、27歳のときに初来日。

このとき日本は戦国時代、アルメイダは運命の出会いを果たします。

アルメイダが出会ったのは、フランシスコ・ザビエルの後任として日本で布教を行っていたコスメ・デ・トーレスです。その後、トーレスとの出会いに感銘を受けたアルメイダは宣教師として布教活動を行うことに。

当時は貧困者や病にかかった人が多く、アルメイダ含む宣教師たちは救済活動も行っていました。そしてアルメイダ33歳のときに私財を投じて、日本初となる西洋式の病院を設立。この病院では当時、日本初となる次のようなことが行なわれました。

日本で最初の試み
  • 外科手術
  • 食事療法の指導
  • 巡回治療
  • 医学校併設

アルメイダは外科手術の担当・指導を行ないながら、薬草の研究や調査なども実施。多くの患者が訪れ病院は盛況でしたが、イエズス会から宣教師が医療に関わることを禁止されたため、病院は閉鎖することになりました。

しかしアルメイダの医術は「南蛮流」という名で、日本人の門弟に受け継がれることに。日本の医療技術の発展に大きく貢献したアルメイダの名を広く伝えるため、大分市医師会は「アルメイダ」と名を残す病院を作りました。
アルメイダ病院の基本情報
住所 大分県大分市大字宮崎1509-2
最寄り駅
(所要時間)
JR敷戸駅
(徒歩15分)
病院HP アルメイダ病院
病床数 約400床

貧しさから子どもを育てられない親たちに心を痛めたアルメイダは、育児院も私財で設立しました。医師として宣教師として、貧しい人や不治の病の患者にも慈悲を持ち献身的なケアを実施。アルメイダは、1583年に熊本県天草市で生涯を終えました。

「障害者スポーツの父」が設立した大分中村病院

大分中村病院は「障がい者スポーツの父」と呼ばれる、故中村裕医師が設立した病院です。

中村医師は「医学的リハビリテーション」の分野が日本ではまだ未開拓だった頃、先駆的に研究に取り組み、イギリスのストーク・マンデビル病院に留学しました。

中村医師はここでパラリピック設立に大きな貢献を残した、ルードヴィッヒ・グッドマン博士と出会います。

グッドマン博士の理念は「失われたものを数えるな。残っているものを最大限に活かせ」というもの。グッドマン博士はスポーツをリハビリに取り入れ、社会復帰を最終目標としていました。

グッドマン博士に感銘を受けた中村医師は、日本でも「障がい者スポーツを広めること」「社会復帰を支援すること」に尽力。帰国後は東京パラリンピック日本選手団団長を務めました。

パラリンピックに参加した外国人選手は仕事を持ち、健常者と同じように暮らしている人ばかり。一方、日本人選手は療養所等でケアを受けている人がほとんどだったそう。中村医師はこのことに衝撃を受け、翌年「太陽の家」という社会福祉法人を設立しました。

続いては、中村医師が設立した「太陽の家」について紹介します。

大手企業の創業者も協力!「太陽の家」共同出資会社設立

中村医師が設立した太陽の家の基本方針は「障がい者に働く機会を提供すること」「自立生活ができるよう支援すること」。

太陽の家設立時の日本では、「障がい者は保護されるべき存在」という考えがあり、障がい者の雇用について理解を得るのは困難でした。自転車操業が続くなか、太陽の家に転機が訪れます。

オムロンの創業者である立石一真氏の協力によって、共同出資会社「オムロン太陽株式会社」が誕生し、障がい者の雇用が確保できるようになったのです。

その後もソニー・ホンダ・三菱商事・富士通など日本を代表する企業が、太陽の家と共同出資会社を設立。「障がい者の雇用」「太陽の家の運営」は安定しました。

また企業と太陽の家では次のようなユニークなシステムを取り入れています。

  • 生産の技術・運営・管理→企業
  • 健康管理・日常生活の支援→太陽の家

このシステムによって、働く人の仕事面・生活面の支援を充実させることが可能に。

「治療は安静が中心」「障がい者は保護されるべき存在」というような、当時の概念にとらわれずに自立した社会復帰を目指した中村医師は障がい者福祉に大きな貢献を残しました。

大分中村病院の基本情報
住所 大分県大分市大手町3-2-43
最寄り停留所 バス停「県庁前」
(徒歩3分)
病院HP 大分中村病院
病床数 約260床

中村医師は「大分中村病院」「太陽の家」「LESPO international(スポーツの普及活動等を行うNPO法人)」を設立しました。中村医師が亡くなった後もその意志は引き継がれ、3つの法人が連携することで最善の福祉事業を築くことを目指しているそうです。

医療の発展に大きく貢献した大分の医師たち

大分には日本の医療や福祉に大きく貢献した2人の医師がいましたね。

アルメイダは西洋式病院を建てるだけでなく、日本で初めて外科手術を行った医師でもあります。

当時の日本の医術は、漢方や祈祷が医術の中心。科学的な西洋の治療をもたらしたアルメイダは日本の医療に大きく貢献しました。

また「安静にすることが治療の中心」であった日本において、「障がい者スポーツ」を浸透させ、「雇用による社会復帰」に尽力した中村医師。

現在の医療や福祉は、中村医師やアルメイダ医師など多くの先人たちの活躍によって作られたのですね。ふと思いついたときにでも、今ある医療や福祉に貢献した人物について想いを馳せてみるのはどうでしょうか。