看護師の悩みを解消するコラム記事

後悔しない生き方をするために、心に響く8つの最期の言葉

後悔しない生き方をするために、心に響く8つの最期の言葉

言葉って不思議ですよね。聞くだけで、話し手の人となりや人生観が伝わってきます。

だれもが自分にとって大切にしている言葉を持っているもの。この記事を読んでいるあなたにも、忘れられない言葉があるのではないでしょうか?

世の中にはたくさんの「心に響く言葉」があり、すばらしい言葉は時代を越えて残されています。名言や格言のほか、結婚式や講演といった華々しいスピーチもそのひとつ。一方で、人間は死の瀬戸際に立つと、嘘偽りない本心の言葉を発することがあります。

この記事では著名人が最期に遺した言葉とともに、常に死と隣りあわせである看護師が聞いた患者さんの最期の言葉も紹介します。

人生の先輩が遺してくれた言葉から後悔しない生き方を学び、悔いのない人生を送りましょう。

著名人が遺した最期の言葉

すぐれた業績を成し遂げ、後世にその名が刻まれている有名人たち。歴史に残る人物だからこそ、最期の言葉から凝縮された人生を読み取ることができるのではないでしょうか?

2人の著名人が遺した、最期の言葉を紹介します。

「なお三年、我が喪を秘せよ」武田信玄

武田信玄(1521~1573)は戦国自体の武将であり、甲斐の戦国大名です。上杉謙信と勢力を争った川中島の戦いが有名ですね。信濃を制し、徳川家康を苦しめた武神と言われています。

持病の悪化を機に、軍を引きつれ長篠城から撤退することにした信玄。死去したのは、甲斐へと戻るその道中でのことでした。信玄の最期の言葉は「自身の死を3年の間は隠し通せ」という意味であり、実際に家督を相続した武田勝頼は葬儀を行わなかったそうです。

「信玄がいるのであれば、甲州の地を手にかける敵はいないはずだ」

そういった意味が込められたこの言葉から、信玄が武田軍のその後にどれだけ心を配っていたかがわかります。

信玄のように、今際の際に「今後どうあるべきかを周りの人間に向けて説いた」偉人は多くいました。

「お墨付きをもらってくるから、一緒に飲もう」荒井注

荒井注さん(1928~2000)はザ・ドリフターズの一員であり、日本で屈指のコメディアンです。入浴中、肝不全により急逝しました。

荒井注さんの最期の言葉は、いかりや長介さんが読んだ弔辞の一部です。最後にふたりが交わした約束の言葉「早く飲んでも良いってお墨付きをもらってくるから、一緒に飲もう」が、荒井注さんの最期の言葉となってしまいました。

いかりや長介さんの弔辞は「飲む場所はあんたが決めといてくれ。じゃあ、いずれ」と締めくくられます。仕事仲間であるふたりの信頼関係や、荒井注さんがいかに愛されていたかがわかるエピソードです。

この弔辞はテレビで告別式を見ていた多くのファンの感動を誘い、当時とても話題になりました。現実世界でお酒を飲むことができなくても、きっとふたりは天国でお酒を酌み交わしているのでしょう。

このように、最期の言葉はまわりの人々に大きな影響を与えます。

ですが、人の心をゆさぶる言葉を残せるのは著名人だけではありません。次に紹介するのは、実在の看護師が耳にした患者さんの最期の言葉です。

昔から偉人の最期の言葉は大切にされてきたのでしょう。現代に至るまで、作家や芸術家、学者といった著名人の最期の言葉は、数多く文献に残っています。

看護師が聞いた患者さんの最期の言葉

人々の痛みや苦しみに寄りそい、患者さんの健康を守る看護師。社会に必要不可欠な看護師の仕事は、患者さんの治療を支え快方へと導くことです。

ただし、現代医療のちからで全力を尽くしても、すべての人が完治した状態で病院を去るわけではありません。元気になった患者さんの姿を見て喜びを感じる一方で、いままで接してきた患者さんの最期の瞬間に立ち会うことも少なくありません。

日本とオーストラリア。2人の看護師が実際に体験したエピソードを見ていきましょう。

看護師、高橋尚子さんが聞いた最期の言葉

神奈川県で働く看護師、高橋尚子さん。彼女はひとりの末期がん患者、中島正人さんの担当でした。中島さんは48歳という若さにも関わらず、全身に転移したがんに苦しめられていました。

中島さんは昏睡状態に陥る前に「死にたくない。一粒の種でいいから生きていたいよ」と発し、この言葉は高橋さんの心に深い衝撃を与えました。

中島さんが亡くなった後、彼の母親は病に倒れてしまいます。心労が重なったうえに、息子の早すぎる死を受け止められなかったのです。見かねた高橋さんは、中島さんが生前に残した遺言をもとに「一粒の種」というポエムを書き上げました。

高橋さんはその後、友人のシンガー・ソングライター下地勇さんに作曲を依頼。最終的に「一粒の種」は一曲の歌となります。砂川恵理歌さんが歌う「一粒の種」です。

ここで、「一粒の種」の歌詞の一部を紹介しましょう。

出会って 語って 笑って 泣いた/生きててよかったよ/あなたのそばでよかったよ
痩せた頬に もう涙を流さないで/震える声で もう語りかけないで/私は笑顔であなたを見ている/私を愛するあなたを見ている

いま存在している生命の尊さと、支えてくれている大切な家族への感謝の想い。一方でいずれ訪れるであろう別れに対しては、前向きなメッセージが綴られています。

高橋さんが中島さんから受け取った「最期の思い」は歌となり、数多くの共感を呼びました。闘病中の患者さんだけでなく、闘病をサポートする家族、友人、看護師といった周りの人々の支えにもなっています。

看護師ブロニーさんが耳にした「5つの後悔の言葉」

続いて紹介するのはオーストラリアの看護師、ブロニーさんが聞いた最期の言葉です。彼女はオーストラリアで緩和ケアの介護を長年つとめ、多くの患者さんとの別れを経験しました。彼女が書いた『死ぬ瞬間の5つの後悔』は日本語を含め26カ国語で翻訳され、世界中で読まれています。

ブロニーさんは書籍で「死を間近にした患者さんたちが総じて口にするのは、後悔や反省の言葉だ」と述べています。彼らはいったいどんな言葉を口にするのでしょうか?

ブロニーさんが患者さんから聞いた、最期の言葉を紹介します。

5つの後悔の言葉
1、自分に正直な生き方をすればよかった
2、こんなに働きすぎなければよかった
3、自分の素直な気持ちを思いのままに伝えればよかった
4、もっと友人と連絡を取ればよかった
5、自身の幸せをあきらめなければよかった

きっと、いまこの文章を読んだあなたにも、心に響いた言葉があるのではないでしょうか?

この5つの言葉は患者さんの後悔の言葉ですが、これから先を生きていくブロニーさんへの人生のアドバイスでもあります。

そして、5つすべてに共通して言えることは「自分らしく生きればよかった」ということ。

あなたはこの5つの言葉を見て、どんなことを感じましたか?

実際にあったエピソードに、心を打たれた人も多いのではないでしょうか?砂川恵理歌さんのやさしい歌声が心に染みる「一粒の種」。ぜひ聴いてみてください。

自分らしさを大切にして、後悔のない人生を

この記事ではさまざまな人の最期の言葉を紹介してきました。最期の言葉には、その人の人生やエピソードが詰まっています。大切な家族へ向けて、ともに過ごした友人へ向けて、人それぞれ伝えたいことは異なるのでしょう。

そして、人生の先輩たちが別れ際に遺してくれた最期の言葉から「自分らしさを大切にすることが、後悔しない人生を送る秘訣」だということがわかりました。

ですが、いくら自分らしさを大切にすることが重要とはいえ、人はお互いに助け合って生きていかなければなりません。仕事をしていく上で、他人の価値観や意見に左右され、ときには自分の意志を曲げることも迫られます。

すべてが自分の思いのままに事が運ぶわけではないのが人生ですが、ときには立ち止まって、自分のことも大事にできているかを考えてみてください。きっと、あなたの充実した人生づくりにつながることと思います。

いつか自分が最期を迎えるときに、あなたはどんな言葉で終わる人生にしたいですか?